じつげつせいしん
日月星辰、峠の記
2005年
  冬2
         

過去の日記
12月24日   Merry khristmas and a happy new Year!

 

ここ5年くらいでクリスマスのイルミネーションが、街のあちらこちらに見られる
ようになりました。

お隣の町・西条市には個人民家としては西日本一と言われている凄い電飾のお宅が
あります。

冷え込む中、手袋・帽子・完全武装で、妻と鬼丸を連れ3人で見物に出かけました。

今治から西条市街に抜ける丁度道沿いにあるので、夜になると交通渋滞も結構きつ
く、どこかで有名な祭りでもやっているの?と疑うほどの人の波が続きます。見物
客をあてこんだ屋台まで出ているのには笑えます。

これまで懸けた電飾代500ウン十万、ひと月の電気代は10万円、1日に3千人
を超す人たちが見物に訪れるのだそうです。






12月19日   

日本漢字能力検定協会が毎年年末になると全国からの応募で決定している
“ 今年の漢字” ― 年末に清水寺の貫主(かんす)が大きく墨書するのが有名
で、10年程前からやってます。

今年の世相を現す一文字は ―“”。85322通の応募中、「愛」が4019票
を集めて1位になりました。

さまざまな災害支援で見られた“愛”、紀宮様ご結婚の“愛”、“愛・地球博”の“愛”、
それらが反映されての選出だったみたいです。

でも毎日のようにイヤ〜な事件が起きている今の世の中、一番欠如していて、一番
強く求められているものも、同じく“”なのかも知れません。

― “All You Need Is Love


因みに2−5位は「改」「郵」「株」「笑」だったのだそうです。






12月17日   大寒波



日本列島上空5000メートル、かつてなかったほどの大寒波がスッポリ覆って
いるのだそうです。

その温度、−43℃以下。

どうりで2、3日前からひどく冷えるはずです。

クリスマス辺りまで、まだまだこの寒さは続くのだそうです。






12月15日   モグラ退治

      

2ヶ月ほど前から、敷地内をモグラに荒らされまくって困っていました。
石垣の周囲、建物の基礎に沿って、アッという間にトンネルが掘り進められていた
のでした。

罠を仕掛けても一向にかかる気配はないし、掘り返されたところを土で埋めようと
してもハンパな量じゃ足りません。あの小さな身体でよくぞここまで固い土を掘っ
ていけるものだと感心しながらも、本当にどうしたものかと困っていた矢先でした。


“鬼丸が何か咥えている!”と言って女房が叫ぶので外に出てみると、なんと、
可哀想にモグラでした。鬼丸が寝そべっている鼻先でもたまたま掘り起こしてしま
ったのでしょう。相手が“何でも殺生丸の鬼丸”だったのがモグラ君にとっては不運
なことでした。

ベルベットのように美しい毛並みの黒い可愛いモグラでしたが、本当に可哀想な
ことをしました。

モグラ君のご冥福を心よりお祈りいたします。






12月13日   Blood type:“O― Negative”



献血をした際、初めて自分の血液がRHマイナス・タイプだったのを知りました。
血液型の分類にはABO式とは別にRH式(D式)というのがあります。

1940年オーストリアの医学者が、大部分の人の赤血球にアカゲザルと共通の
血液型抗原があることを発見します。

つまりヒトには“サルの血液に対する抗体(ラージD因子)”に反応するタイプ ―
“サル因子陽性型”と、しないタイプ“サル因子陰性型”とがあるそうで、この実験
に使ったサルが“アカゲザル”というニホンザルに似た種類の猿だったので、この
“アカゲザル”の英名“Rhesus monkey(リーサス・モンキー)”の頭文字2文字
を取ってRH式と名づけられたのだそうです。

欧米の白人にはRHマイナス型は割りと多いらしくて、各国1〜2割弱もいるらしい
のですが、日本、中国、韓国、ネイティブ・アメリカンには大変珍しくて、日本で
は0.5%位しかいないそうです。

日本人のA/O/B/ABの比率は大体4:3:2:1なので、これから計算する
と、私と同じRHマイナス“O”の血を持つ人は10000人に15人いる勘定に
なります。

   
   フランス・スペインの国境にまたがるピレネー山脈・山麓に住むバスク民族、彼らはゲルマン、
   ラテンスラブ等、他のどのヨーロッパ人系にも属さない独特の民族で、古代ヨーロッパ人の
   末裔といわれています。言語学的にも全く独自の語源の言語を持っている民族なのだそうですが、
   不思議なことにこのバスク民族、人口のなんと33%がRHマイナス型らしく、他のどの地方
   にもない頻度の高さなのだそうです。若しかして、私のルーツは古代ヨーロッパ?(笑)
   






12月9日   

今治市には不思議な名前の交差点があります。 ― “どんどび”の交差点。
街の繁華街の丁度中心にあたり、“今治銀座”の入り口前交差点です。
子供の時からなんとなく可笑しな名前だな〜、とは思っておりました。

“どんどび交差点”のすぐ側には“金星川”という川が銀座通りに沿って東西に
流れていますが、実はこの“金星川”、昔は幅が十七間(31m)ほどもあったらし
くて、今治城の外堀の一部だったのだそうです。

今治城は城造りの名人として有名な藤堂高虎が1604年に築城した城で、全国的に
も珍しい、堀に海水を引き込んだ海岸平城です。現在は内堀だけしか残っていない
のですが、昔は2重の外堀と合わせ、3重の堀に囲まれていたそうです。

外堀の北西に水門を作り、潮の満ち干きを利用して水位を調整していたらしくて、
その水門のことを“呑吐樋”と言ったらしいのです。つい最近まで“今治大丸”前・
“金星川”と“泉川”の交わる角にはこの水門が残っておりました。

呑んだり吐いたりする水の通り道、“呑吐樋”― 漢字で書くとなんとなく解るよ
うな気もします






12月7日   回復力   



私の車のバンパー、“衝撃吸収バンパー”といいまして、
時速8km以下での速度なら、万が一ぶつけてへこんだとしても、しばらくすると
自然と元の姿に戻るので、修理費用がかからなくて経済的なのだそう。

詳しい仕組みはよく知りませんが、“形状記憶プラスチック”でも使っているので
しょうか? 幸い未だぶつけたことはありません。


打たれ弱い私のハートにも、こんな便利な機能が欲しいな






12月5日   冬、到来

  

今治地方、昨日は摂氏6℃。
夜半には、今年初めての雪も舞いました。

九州でも雪が降ったとニュースが告げています。

あさって12月7日は二十四節気の内の大雪(たいせつ)。
日本海側や北国に本格的な雪が降り始める季節です。






12月3日  へ・ん・じ・ょ・う・こ・ん・ご・う

 <四国88ヶ所第45番・岩屋寺

子供の頃、親に注意されグタグタ口ごたえをしていると、
“へんじょうこんごう言われん!!” と、よく叱られました。

屁理屈・小理屈を言うな!!っていう様な意味でしょうか。 

“南無大師遍照金剛”― ありがたいお題目、民間ではこ〜んな形で使われて
いたりもします。






12月1日   看看臘月尽(みよみよろうげつをつくす)

今年もアッという間に12月に入ってしまいました。
今年の初詣、つい昨日のことのように鮮明に覚えているのですけどネ。

古語では12月のことを、年の瀬、師走、極月、臘月などともいいますが、
“みよみよろうげつをつくす”― みるみる間に時は過ぎ去り、今年ももう最後の
の月になってしまいました。

“少年易老学難成、一寸光陰不可軽”






11月29日   ・・・のことに



“耐震構造強度改ざん偽装問題”をめぐる国会参考人質疑の中継がテレビであり
ました。

残念ながら、直接偽装した当の“姉歯建築士”は体調不良のため欠席しましたが、
“ヒューザー”、“シノケン”、“木村建設”、“イー・ホームズ”の各面々が
一堂に会して質疑を受けました。

これを聞いていて気になったのが、“〜のことに関しましては、お詫び申し上げま
す”というふうに、反省・お詫びの言葉の前にやたらと“〜に関しましては”という
言葉を付けること。官僚の反省答弁の時などにも、頻繁にこの言葉は使われます。

自分が謝っている最中に、“〜に関しまして”と、対象を狭小化、限定化する
言葉を前に冠する、 ― これは一体どういうことなのだろう?

つまりは、本当に反省などしてはいないのだろうな、彼らは。






11月27日   えっ、こんな処に?



石鎚山は西日本で一番高い山。標高は1982メートル。

面河(おもご)方面から“石鎚スカイライン”という車道があって、中腹の
“土小屋”(1492m)までは車で行けるようになっています。

“土小屋”の“石鎚神社”、“白石小屋”前のロータリーの花壇に時期はずれの
花が咲いていたので、“おやっ?”っと覗き込んでよ〜く見てみると、なんと、
これが造花なのでした。
   ・
   ・
   ・
驚きました。






11月25日   PHOTON・マイクロライト



ここ5,6年愛用している()フォートン社のマイクロ・ライト。

NASAのスペース・シャトルにも搭載されている小型ライトで、チョイ使いなら
背中を押すだけ、長時間点灯させたいならばスイッチで、と使い分けできるのが
便利です。(この嬉しい使い分け機能、意外と付いている機種は少ないです

今は色々似た様な廉価版が出回ってもおりますが、これの凄い所はその点灯時間!
な、なんと連続点灯120時間ライト色・黄色の場合)。他の追従を許しません。

小さいながらも光量は充分で、使用電池もリチウム電池なので寒冷時の消耗度も
少なく、心強くて◎。






11月23日   less is more



だんだんと身の回りにモノが溢れてきました。
増えてきたモノに縛られて、どうにも身動きがとれない感じ。

それは単なる物質だけではなくて、情報だったり、選択肢だったり、しがらみ、
だったりもする。

いっそ全てを捨てて、遠い地で、ゼロから始められたら楽なのか?、なんて少し
思ったりすることもあるけど、捨てることってホント難しい。

“less is more”― (より少ないほど、より豊かである
20世紀を代表する建築家、ミース・ファン・デル・ローエのこの言葉が、やけに
身にしみる今日この頃デス






11月21日   大洲城



昨年の9月に復元工事が完了したばかりの“大洲城”。

本来は4層4階の木造建築は法律で禁止されていて、復元は無理だったのですが、
文化財を後世に残すということで特例として認められました。明治時代の古写真や
“天守雛型”と呼ばれる江戸時代の木組み模型など、豊富な資料が残っていたお陰
で、重要文化財の台所櫓、高欄櫓とL字型に多聞櫓で連結し、忠実に複連結式天守
が昔のまんま再現されました。

天守閣の木造での復元としては戦後全国で4件目、4層4階の天守では、初めての例
なのだそうです。

蛇行した天然の外堀・肱川を見下ろす小山(地蔵ヶ岳)の上に建てられているのです
が、こうやって天守閣が復元されてみると、川側から見る姿などはどこかしら愛知
県の“犬山城”に雰囲気が良く似ていて、改めてビックリしました。

   
   大洲城(昔は大津城)― もともとは鎌倉時代末期、伊予国守護・宇都宮豊房が築いた
   地蔵ヶ岳城が始まりとされていますが、戦国時代に小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、
   藤堂高虎、脇坂安治らが相次いで城主となって、この頃本格的な近世城郭に改築・整備された
   のではないかと考えられているそうです。  一説では、大洲の街割りは藤堂高虎が、
   4層4階の天守閣は脇坂安治が洲本から移築したものではなかったか、と云はれています。

   その後(1617)、米子から加藤貞泰が入城し、以後250年・明治維新まで13代に渡り加藤家
   が6万石の城主として大洲の町を治めました。

   明治維新の廃藩置県に伴って、昔は20棟を超してあったといわれる櫓も4棟を除いて取り壊さ
   れ、明治21年(1899)には天守も解体されてしまっていました。
   






11月19日   伊予の小京都



久し振りに“大洲”の街へ出かけました。

大洲は“西伊予の小京都”ともいわれ、昔の朝の連ドラ“おはなはん”の舞台となって
全国的にも一躍有名になりました。

鵜飼で知られる美しい肱川が街の中心を流れる、かつての大洲藩の城下町です。

10年前と比べると、“町の駅”を拠点として、“江戸期のスポット”、“明治の街並み”、
“大正・昭和の街並み”と、歩いて散策しやすいよう、観光整備が進んで、新しい
名所・お店も増えました。

高速も伸び、今治からは2時間足らずでいける近い町となりました。






11月17日   2CV(ドュー・セ・ヴォー)



1934年、量産車では世界初のFF(前輪駆動)車を世に出したシトロエン。
しかし、この時の前輪駆動車開発に伴う膨大な設備投資が災いして経営は破綻して
しまいます。

これに伴い創業者アンドレ・シトロエンは経営者の地位を退き、代わってフランス
最大のタイヤメーカー・ミシュランが経営に参画することになります。この際、
ミシュラン社から派遣されてシトロエン副社長職に就任したのが、元建築技術者の
ピエール・ブーランジェ。

1935年の夏、ピエール・ブーランジェは別荘でのバカンスのため、南フランスへ
赴きます。そこで彼は、農民たちが手押し車や荷馬車に輸送を頼っている実態に気
付きます。パリでは随分と普及してきていた自動車でしたが、当時フランスの農村
は近代化が遅れ、日常の移動手段は19世紀以前と何ら変わらない状態でした。

そこで副社長ブーランジェは、農民の交通手段にできる廉価な車を作ることができ
れば、新たな市場を開拓でき、シトロエン再興のチャンスとなるという着想を得ます。

そして1936年、トラクシオン・アバン(世界初の量産型前輪駆動車)を短期間のうちに
完成させた天才型技術者アンドレ・ルフェーヴルらシトロエン技術陣に対し、農民向け
小型自動車の開発を命令しました。

彼が技術陣に出した条件は5つ。

  ・大人2人とジャガイモ50kgを載せて、田舎の悪路を50km/hで走れること
  ・カゴ一杯に生卵を載せて、1個の卵を割ることなく荒れ地を走れること
  ・ガソリン5リッターで、100km以上走れること
  ・価格をトラクシオン・アバン(中流階級以上が対象)の1/3以下にすること
  ・農民が盛装して教会や祭りに出かけるときも使えるよう、シルクハットを
   被ったまま乗れること

技術陣をして「不可能だ!」とまで言わしめた難題。悪路踏破力、乗り心地、経済性
いずれも厳しい条件でした。しかし、技術陣の努力によって、これら無理難題を
ほぼ満たして、1939年試作車が完成します。後の2CVの誕生でした。

明確な、極めて具体的な目標を掲げることにより、不可能と思える難題も、初めて
解決できる
のかも知れません。

   
   試作車がほぼ完成した翌年の1940年、ドイツ・ナチス軍の侵攻によりフランスは占領されて
   しまいます。シトロエン開発陣は、この新型小型車をドイツ軍に渡すまいと、プロジェクト関係
   書類を処分し、殆んどの試作車を破壊し、数台は工場の壁に塗り込んだり、地中に埋めて、
   ドイツ軍の目から隠します。

   占領下時代、シトロエン社はドイツ軍のためのトラック生産を命じられますが、サボタージュに
   よって予定を遅延させたり、わざと欠陥車を作ってドイツ軍に打撃を与え、抵抗を試みます。
   こういうレジスタンスの精神も私がこの会社を好きな理由の1つです。

   1944年、連合国軍の侵攻でフランスはやっと解放されます。そして農民・労働者の為の小型車
   プロジェクトは再開し、1948年、“2CV”は遂に世間の前に姿をあらわします。
   あまりにも奇抜な容姿から、“ブリキの缶詰”、“醜いアヒルの子”、“乳母車”等と呼ばれ、
   最初は皆の失笑を買っただけかと思われた2CVでしたが、その合理性、性能、運転のしやすさ
   経済性、全てがすぐに理解され、愛され、その後42年間も生産され続けるほどの、世界に誇る
   ベストカー、ロングセラーカーとなりました。
   
   






11月15日   一保堂



京都の友人が送ってくれました。
懐かしい“一保堂”のお茶。

学生時代、寺町二条界隈には、骨董屋やスポーツ用品店等が沢山集中していて、
私はしょっちゅう遊びに行ったものでしたが、この通りの丁度中心に、いかにも
京老舗という風情で“一保堂”がありました。

今から160年程前、山科宮(やましなのみや)より、“茶、一つを保つよう!”と
“一保堂”の屋号を賜り、現在に至っているのだそうです。立原正秋の小説にも
よく、ここのお茶が出てきました。

レトロなお茶缶が本当に懐かしい!
やっぱ、お茶は美味しいのに限りますナア〜。  ありがとう、林さん♪・♪・♪

   
   先日、ご結婚された紀宮様(のりのみや)がお勤めになられていた山階鳥類研究所、
   旧宮家・山階宮の第二皇子、鳥類学者・山階宮芳麿王(よしまろおう)の創設なのだそうです。
   






11月13日   それぞれの花




誰もが皆、自分だけの“花”を持っているのだそうです。

大きな花、可愛い花、赤い花、白い花、香りのいい花、 etc.
          ・
          ・
          ・
それぞれの花、きれいに咲かせられますように!






11月11日   カスタム



斎藤実さんの手作りナイフ。

ブレードとタング(ハンドル部分の中にある芯)が一体の鋼材からできているタイプの
ナイフで、普通皮の鞘(sheath)に収めるのでシースナイフと呼ばれています。

ハンドルはアイボリー・マイカルタ。
一見象牙のように見えますが、実は紙を幾層にも蓄積しエポキシ系樹脂で加圧成形
加工したものです。

ヒルト(束元)部分は丁寧に銀ロウ付けが施され、タングへの水分の侵入を防ぎ腐食
から鋼材を守ります。

ブレードとハンドルが丁度同じ長さで、すっきりとした美しさを持っています。

Simple , But Best !






11月7日   立冬



昼間はまだまだ暖かいのに、夜になるとめっきり冷え込むようになりました。

山里の我が家では、さすがにもうホットカーペットを使っておりますが、
暖房を入れるのももうそろそろかも・・・・・・

紅葉がだんだん下へ降りてきて、この辺りの里山も色づき始めています。